ほんだな

個人的な蔵書&読書の管理用ブログ

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「遺体」

遺体―震災、津波の果てに遺体―震災、津波の果てに
(2011/10)
石井 光太

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今年最後の読書。

クリスマスの間、再開発が進む梅田は華やかで「今年の3月に震災があった」なんて感じさせない活気があった。

私も4才の娘のためにプレゼントを選び、ケーキを買い、ぬくぬくと友人とパーティーをした。

そこに罪悪感を感じる必要はなく、
消費を回すことは大切だと思っている。

9月に行った仙台市内も、同じように震災も不況も感じさせなかった。

ところが、タクシーで20分も走ると。
仙台市荒浜地区、蒲生地区、名取市閖上という報道で馴染んだ地名が現れる。

3月11日、黒い波が燃える家を巻き込んで畑を舐めていき、
道路に這い上がろうとする空撮映像が撮られた場所だ。

そこには「人の気配」という音がほとんど無かった
代わりにあったのは、草むらの中に刺さっている船と車。
タクシーから降りてようやくわかる、土台だけ残された家。

私たちと同じように、
例年と同じように迎えたはずのクリスマスや正月。
それ以前に、集うべき家族や家を失った人達がいる。

あの日から数ヶ月、「何かしなければ」と思った気持ちを
せめて10年継続させるために。

毎月、震災および原発関係の本を最低でも1冊ずつは読むことにしている。
この習慣は、特に経営者や人の上に立つ人にはおすすめしたい。

日が経つにつれ、当時のマスコミで出てこなかった事実や分析が書かれる。
その中でも、釜石市の被害について「遺体」を中心に書かれたこの本は、テレビが避け続けた生々しい映像を補って余りある描写に満ちている。

遺体搬送を頼まれた市職員、消防団員。
検死を依頼された町医者、歯科医たち。
葬儀社に長く勤めた民生委員が放置される遺体に耐えかねて、遺体安置所のボランティアを申し出る。


同じ町に暮らす人を、見つけ、運び、弔うまでの過程に結びつきの濃い土地ならではの苦悩と悲しみ、そして優しさが伴う。


自分が同じ立場だったら、どんな想いがするだろう。
この痛みを安易に「乗り越えよう」「がんばろう」なんて言葉はかけられない。

だから同じ言葉の繰りかえしになるが、自分の持ち場で
「稼ぐ、使う、忘れない」
3つを来年も淡々とやっていくしかない、と思い知らされる。


「稼ぐ」=生産性を上げて収入を増やす、
     経営者なら売上をアップして雇用や納税を増やす

「使う」=消費を回し、経済を上向きにする。
     支援につながる消費や寄付をする。

「忘れない」=震災を忘れず、防災と支援の意識を持ち続ける


この本を読んだあとに、釜石市の被災の映像を観るとより身に迫って感じられる。
釜石第二中の体育館に満ちた悲しみと寒さを、わずかでも想像できる。

何だろう、どう書いても震災のことは言葉が足りないというか、無力感の方が大きい。
なまじ被災地を見ただけに、何を書いても偽善的に感じる。

ただこうして本を紹介するだけでも、せめて誰かの「忘れない」に貢献できればと思う。

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「わたしクリスマスツリー」 佐野洋子

新装版 わたし クリスマスツリー (講談社の創作絵本)新装版 わたし クリスマスツリー (講談社の創作絵本)
(2006/10/24)
佐野 洋子

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佐野洋子のクリスマス絵本は、大人の古傷にえげつない。


「わたしは クリスマスツリーになるの、きれいな町で」


夢見るもみの木は、もみの木が積まれた貨物列車を追いかける。


「あーあーあー、おいてゆかないで、おいてゆかないで。
わたしを きれいな町に つれてって」


去年、本屋で立ち読みして、3歳のムスメにはわからないだろうと買わなかった。
今年、佐野洋子が亡くなったことで新装版が出ており、迷わず買った。

4歳のムスメは、ホームで泣くもみの木に同情して泣いた。


「なんで汽車に乗れなかったの?」


生まれた場所が悪かった?努力不足?運命?

死ぬほど好きだった人とか、憧れの職業とか、東京での成功とか。
母親である私は、かつて乗れなかった列車をいくつか思い出して、答えに詰まる。


「……一生懸命走っても、間に合わなかったね。
でもさ、森に戻ったらみんな優しくしてくれて、どんぐりとかお星様を飾ってくれたじゃない?
これで良かったんじゃないかなぁ」

ふーん、と納得したような顔でムスメはとろとろ眠りに入る。
布団の中の小さな体を引き寄せて、ぎゅっとする。


「オカアチャンも、これで、良かった」


夫とムスメと白い猫が全部布団に乗っかって、お腹の中にはもう1人いる。
私の大事な物全部が、この布団の上にある。
これで、良かった。


「大きくなったらプリキュアになるの!」


そんな君も、列車に乗れなくて泣く日が来る、絶対に来る。
そんな日に、「なかないで」と言ってくれる人が
そばに1人でもいることを、心から願っている。


佐野洋子は、えげつなく意地悪で、さりげなく優しい



〔参考〕「100万回生きたねこ」(佐野洋子)
http://tosyoshitu.blog98.fc2.com/blog-entry-69.html


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久々にこっちのブログを書きました。
基本的に、レビューはメディアマーカーで記録しています。
http://mediamarker.net/u/kikakuya/

4歳のムスメの言語能力や情緒の発達が、国語教師として面白くて仕方ないこの頃です。


 

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「つなみ 被災地のこども80人の作文集」

文藝春秋増刊「つなみ 被災地のこども80人の作文集」 2011年 8月号文藝春秋増刊「つなみ 被災地のこども80人の作文集」 2011年 8月号
(2011/06/28)
不明

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 吉村昭の「三陸海岸大津波」には、子どもの作文が多く取り上げられていた。
 
 「それから表に出て見ると、しんだ人達が、
  あっちにもこっちにも、ごろごろと女や男の人が居ました」
        (昭和8年の津波/尋常小学校3年生の作文)

 この吉村昭の本を参考に、1人のジャーナリストが子どもの作文を集めた。

 「でて、はじめて見た物は、たくさんの死たいでした」
        (東日本大震災/石巻市の小学5年生)

 メディアの技術は昭和8年から飛躍的に向上しているが、マスコミは終始、慎重だった。
 カメラは絶妙に遺体を視界から外し続け、確実にあったはずの「子ども達が見てしまった風景」を
 視聴者に想像させようとすらしない。


 先ほど引用した小学生の作文は、この前に「車ごと沈み、救出されたが寒さで死んだ人」の
 描写が出てくる。

 美談ばかり伝わる中で、東松島市の中二男子が「避難所に来た物資を、被災していない
大人が持ち去った」事実を書き、「愚民たち」と怒りのままに吐き捨てる。

 国語教師の端くれとして、この作文の奥に読み取ろうとする。
 子どものしたたかで、たくましく、そして脆い面を。

 おそらく生まれて初めて味わったであろう、強烈な空腹。
 家族と連絡が取れない心細さ。
 自分のお気に入りの物や家が無くなった悔しさ。
 亡くなった友だち、転校していくクラスメイトへの惜別。

 マイナス感情の一方で、体育館での生活を楽しんでいる姿も垣間見える。
 そして多くの子どもが「いつか恩返しをしたい」と支援への感謝で結ぶ。

 ある生徒の作文に、すべてが籠められていた。

 「俺は生きてきたこの十六年の間に、悲しみ、苦しみ、悔しさ、寂しさ、つらさ、
  怖さ、ひもじさ、喜び、楽しみ、うれしさ、すべてを経験しました」


 そして彼はこう叫ぶ。

 「頑張れ日本!よみがえれ石巻!頑張るぞ俺達家族!」

 津波に追いかけられ、諦めかける母親を怒鳴りつけ、小学校で見つけた妹を背負ったまま
 体育館で津波に襲われ、腰まで水に浸かりながら生還した高校1年生。

 彼が言うなら、大丈夫だ。
 マスコミやタレントやよそもんが言っても絶対に届かない、熱い熱い想いを感じる。 

 味わった苦しみや悲しみの分、彼らは「当たり前」を何十倍も幸せに感じている。
 家族がいる、家がある、友だちがいるってなんて幸せなんだろう。

 彼らが握りしめた鉛筆で伝えたかった想いを受け止めるのが、偶然、被害に遭わなかっただけの
 大人の仕事ではないかと思った。

 まだ、たったの、半年。


 

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「原発ジプシー」 堀江邦夫

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録
(2011/05/25)
堀江 邦夫

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重い、息苦しい、暑い。


 38度超えの熱を出し、朦朧としながら読んだ。
 防護服の装着シーンだけで、疲れる。
 
 体がずん、と重くなる。
 酸素が欲しい。

 しかし、マスクを外して胸一杯に空気を吸うのはためらわれる。
 周りは放射性物質に満ちている。


 1978年から翌年にかけて、ジャーナリストが原発下請け業者として美浜・福島・敦賀原発を渡り歩いた記録。

 
 現場がいかに複雑でそして雑で、人海戦術に頼っているかがわかる。
 さすがに当時よりはマシになっていただろうが、突発事態に福島の現場が混乱したことは容易に想像できる。
 そして使い捨てされる作業員達。

 著者は「ひ孫請け」業者の社員だった。
 1人あたり1万5000円支払われているはずの日当が、手元に来ると5500円。

 日本中から「捨て駒」が集められ、名目だけの安全教育を受け、原発の中心部に入っていく。
 その体質は、今も変わっていない。
 
 〔参考〕東電ずさん労務管理…作業員69人連絡とれず
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110621-OYT1T00192.htm

 
 彼らの多くは、定職につけなかった人たちだ。
 失業率が高い今の日本と、重なる。


 このドキュメンタリーの凄さは、擬似体験させる力にある。
 ど素人でも体ひとつあれば、原発作業員になれる。

 力仕事、汚れ仕事、無意味な待機時間、作業の失敗によるやり直し、放射線の恐怖。
 骨折した著者に、労災申請をしないよう詰め寄る雇い主。
 「マスコミが騒ぐと面倒だから」
 ……当時と何も体質は変わっていない。


 熱のせいもあるだろうが、読んでいて苦しかった。


 著者の主張は、後書きのこの部分に籠められていると思う。

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 近代科学・技術の最先端をいくといわれている原発だが、そうはいっても実際に原発を動かしているのは人間なのだ。それも、中央制御室で計器類を監視し、スイッチを押す電力会社社員は、そのほんの一部であって、人数面からも仕事量からも、下請け労働者の方が圧倒的に多い。

 つまり原発は、下請け労働者の存在があってはじめて原発として稼働することが可能なのである。言い換えれば、現場の最前線に送りこまれ、放射能にまみれて働くことを強いられている労働者たちの姿を無視して原発を語ることはできない、ということなのだ。

===============================

 文庫版の後書きには1982年時点で、原発作業員ののべ人数は13万人に達している。

 チェルノブイリ事故では、爆発の後始末に人海戦術を用いるしかなかった。あまりにも放射線が強く、ひとり一人の被曝量を抑えるには仕方が無い。その人数は60万人を超えたという。(出典『原発事故を問う』七沢潔)

原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)原発事故を問う―チェルノブイリから、もんじゅへ (岩波新書)
(1996/04/22)
七沢 潔

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 同じ描写が、この本の中にも出てくる。

 1日の被曝量を超してアラームが鳴ることを「パンク」という。
 30分ほどでパンクする。
 次々と作業員が交替する。
 
 チェルノブイリの作業員たちは、多くが身体障害者となっている。外部被曝より、ほこりを吸い込むことによる内部被曝も要因らしい。『原発ジプシー』の中にも、ほこりまみれになったり、汚染水に触れたりするシーンが何度かあった。


 何が「クリーンエネルギー」だ、と思うためだけにでも、読む価値がある。
 文明は泥まみれの人たちに、支えられている。

 せめて、知ることから。


 
 

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「高校生レストラン、本日も満席。」村林新吾


高校生レストラン、本日も満席。高校生レストラン、本日も満席。
(2008/03/17)
村林 新吾

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 三重県相可高校の「まごの店」は、自治体で「企画力向上研修」を頼まれた時に、よく事例に取り上げていた。

 町役場の職員と、教師の熱意。
 8000万以上をポンと出した町の心意気。
 
 ドラマ化を聞いた時、おお「あがり」まで来たなと思った。

 一回だけネタに見ようと思い、神木隆之介の真っ直ぐな目にやられ、せっせと録画して見ている。

 いやー学校にあんな先輩いたら惚れるわー
 賢そうな美少年ヨダレ出るわー

 ……じゃなくて!
 
 ※ついでに地方の役所にひょっとしたらいるかもしれないレベルにオーラを消している伊藤英明も鑑賞ポイントの1つ>タレ目好き

 
 ドラマの設定は「まごの店」を町おこしに使ってやろうという小役人と、料理人としてはプロだが教師としてはアマチュアな主人公と、くそ真面目な女教師と、情熱家の役所の人間が出てきてベタながらも教育モノとして進んでいく。


 できない子も励ますのが教育と、女教師は言う。
 できる子の特別扱いはしない、達成感を重視。


 それではプロとして使い物にならない、
 オレはこいつらを本物にしたいんだと主人公が言う。


 子どもたちは主人公に感化され「プロとして技術を身につけたい」と思い始める。
 もともとそのつもりで入った学校じゃないか、
 この土地でどれほどの就職先があるってんだ。

 真剣にやってみたい、と。


 この変化を感じさせる場面は、いやだわ連ドラなのに感激しちゃって私ってば、教師に戻りたくなるやんかともじもじしながら見ていた。


 原作は、そもそも何となく家政科から食物調理科に変えたばかりの、相可高校の生まれ変わりから描いていく。いや、もっと前の村林先生の生い立ちから。

 辻調理師学校の教師から、学校教師へ。
 目立つことをすると、教師達の反発を食らう。


「教師の間の常識、ルールはそれほどまでに大切なものなのか。
  生徒のために忙しくなるのが、そこまで嫌なのか。」

 熱血教師が必ずぶつかる壁を、村林先生は実績を出すことで乗り越えていく。

 素直な読者なら「ステキ」と思うところで、私は少しひっかかった。

 塾業界とは言え、元・熱血教師としては辞めて10年経ってからわかったことがいくつもある。深夜まで生徒を教え、休日出勤をし、生徒とのつながりに酔っていたが、それはビジネスとして破綻している。塾側は営利企業なので、若い講師の熱意に甘えて評判と業績を伸ばし、そして使い捨てていた。特に女性講師が退職まで続けられる環境作りなんか、全く考えちゃいない。

 個人の熱意に頼らない仕組み作りを考えなければ、組織は不安定になる
 それは、最終的に生徒のためにならない。
 今なら、もう少しマシな働き方とマネジメントができたかもしれない。


 村林先生は異端の人で、並外れた情熱と家族の理解があり、そして技術があった。
 だからあれだけの成果が出せた……というと単なるヒーロー物語で終わってしまう。

 この成功事例を横に広げるには、ヒーロー頼りではダメなんだ。
 全国の教育関係者、町おこし担当者が視察に来るそうだが、「村林先生がいなくてもできる方法」を考えない限り、成果は上げられない。 

 ただ、素直に読めば「調理師になるはずが高校の先生」になった人の話は面白い。
 辻調理師学校で鍛えられ講師までやっていた人だから、公立高校で普通にやっていても熱血に見えるんだろう。

 この経緯をドラマではバッサリ切っていて、いきなり高校生レストランがスタートしてしまう。
 教師も堅物オンナ教師と校長と教頭しか出てこない。

  一番おいしいところは、ぜひ原作で。

 レシピ集も載っていて、第3回に登場した「松阪牛すき焼き茶漬け」が作れます。

 
 

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