ほんだな

個人的な蔵書&読書の管理用ブログ

「モンスターマザー」 石川結貴

モンスターマザー 世界は「わたし」でまわっているモンスターマザー 世界は「わたし」でまわっている
(2007/11/22)
石川 結貴

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 書かなきゃ書かなきゃと思って1ヶ月以上。

 その間に、9ヶ月になるムスメを連れて家を出ることになってしまった。「なってしまった」んじゃなくて「家を出ることにした」と言った方が正確で、事なかれ主義的に義父母との同居生活を続けようと思えば、おそらく続けられる。

 ただ、私自身がこれ以上耐えられないだけだ。

 母性神話は信じていなかったはずなのに。
 産まれてみたら、娘を誰にも渡したくなくなってしまった

 夫が可愛がってくれるのは構わない、むしろ歓迎。
 
 でも、私がそばにいるのに「オムツ見たり、ミルク飲ましたり、オトウチャン(義父)抱いたり、ばぁちゃんが抱いたろ」と細々と声をかける義母に「母親ポジション」の危うさを感じてしまう。みんな「考えすぎ」「見てもらえてええやん」と言うのだが、この胸の痛みだけは説明できないし、自分でも正直なところワケわからなくて困っているのだ。

 小さなことが積み重なって、今は淡々と準備している。
 
 ただ深刻にするとこれで縁が切れてしまうので、週に一度は行き来できるように配慮はしている。オットの処遇は不明で、ひとまず家計と仕事を分けて、戸籍を分けるのは躊躇しているという状態。

 ここで、改めて「モンスターマザー」のサブタイトルが刺さってくる。

 「世界は『わたし』でまわっている」

 「わたし」の不快感を取り除きたい
 「わたし」の思い通りに振舞いたい
 「わたし」の支配下に全てを置きたい

 今、自分がやろうとしてることって、単なる自己中なんじゃないかと悩む。
 家族ってナニ、夫婦ってナニ、親になるってどういうこと

 答えは出ないが、この本に出てくる「モンスターマザー」は私の悩みなど軽く凌駕するトンでも母親に溢れている。彼女たちは、コギャル世代。育児より自分のオシャレ。トイレトレーニングは保育園に丸投げ。お弁当は作るの面倒だからコーンフレークとパックの牛乳を持たせる。運動会にピザの出前。

 その逆に、私が塾業界で接してきたような「子どもをブランドバッグ化」する教育ママも出てくる。自分の快楽のために、子どもを平気で犠牲にする。自分の評価を上げるために、無理を強いる。

 一方、「ブチ切れママ」「がんばらない育児」がいいと、親を甘えさせる育児用品の広告を取りたい雑誌が煽る。編集者が本音を漏らす。「今のお母さん達には、もう少し『がんばれ』と言いたい

 この本に出てくる様々な事例は、「日本は病んでいる」と言うのにピッタリな素材満載だ。けれども、現状を非難しても昔を褒めても、救われない母子が(作者は「赤ちゃんポスト」ではなく「母子ポスト」が必要だと書いていた)増え続ける以上は対策を取らねばならない。

 作者の意見は「母親になるにも免許証が必要だ」というもの。

 産む前に十分な教育を、妊娠中・産後の教育とサポートを、そして母親自身の意識改革を。

 子どもを持って、私自身が強く「産む前の教育」の必要性を感じた。
 「快楽の先にあるもの」に対して、あまりに無防備過ぎる。

 この本で一番読まれるべきパートは、実は引用部分にある。
 「SPA!」の特集記事「10代“母親”3人が衝撃告白・赤ちゃんを捨てた側の論理」だ。
 
 この頃、「SPA!」は毎週買っていたので、私も資料に取っておいたものだ。

 中学3年生の女の子が、自宅で出産してへその緒を引きずりながら赤ちゃんを通学用鞄に入れ、自転車のカゴに乗せて森へ捨てに行く描写。どんな性教育の授業をしようが、オトナからは語れないリアリティ。これこそ、当事者である10代と親が読むべき資料なのだと思う。

 自分の家庭問題はともかく、自分の出産を機に「ホンキの性教育」を考えるようになった。我慢しろなんてキレイごとは通用しない、小学生ですら初体験を済ませている子がいる。私が課題にしている「地方の経済・教育格差」とも相関関係がある。

 とにかく産んだら戻れない。これだけ便利な時代で、合理化も効率化もできない「育児」という代物。いつかは親になりたいという希望を持たせつつ、今はなる時期じゃないということを、どうやって教えるか。
  
 この本では触れられていないが、「モンスターマザー」の背後には種蒔くだけの無責任な「オトコ」や同じく免許を持たない「モンスターファザー」がいること、ハードワークによる父親の育児不参加の問題も、合わせて考えたい。


 
 《余談》

 文中に「BF(ベビーフード)に罪悪感を持たない」の母親達の記述があるが、これは仕事をしている私も頼りたいだけに当てはまる。使えるものなら使いたいBF。しかし、悲しいほど我がムスメはNO!レトルト、NO!フリーズドライ、ビン詰めもごく限られた商品しか受け付けないという「ワーキングマザー泣かせ」の赤子なのである。

 かくして、仕事の無い日は台所に立ち詰めで刻んだり煮込んだり、冷凍用のストックを作るのに悪戦苦闘。気分は精進料理を作る修行僧、それなのにやっとできた「豆腐の枝豆すりつぶし餡かけ」を「べぇぇぇぇ」と出されるショックと来たら。

 育児やるやる言いながら、オットが離乳食作りを自主的にやらなかったことも、失望理由のひとつ。オットに任せていたら、永遠にミルク飲ませてそうなんで連れて出ます。

 トイレトレーニングとか、安全対策とか、しつけとか。
 
 ……動物を人間にするって大変です。

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「小悪魔 ageha 」 6月号

小悪魔 ageha (アゲハ) 2008年 06月号 [雑誌]小悪魔 ageha (アゲハ) 2008年 06月号 [雑誌]
(2008/05/01)
不明

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 取材資料として買いに行って、モーレツに困惑した1冊

 「女子のなりたい職業」上位にランクインする「キャバクラ嬢」アゲに加担してると思われる雑誌。ゴテゴテギラギラのレイアウトや色使いに目まいがするだけでなく、その光の中に浮き出る特集タイトルが「病んだっていいじゃん」

 いいんだよ、病んだって。
 私も病んでたし、誰も信じられないし、ほらリスカの跡がいっぱい。

 でも、こうやってキャバクラ嬢になってプライド持って働いてるし、みんなにチヤホヤされるモデルになってます。

 だから、あなたも

 これで本当に悩んでいる女の子が、救われたり居場所を同じく夜の世界に求めたりするなら、一定の効用はあるんだろう。精神科医や心理学者がどんな言葉を尽くして説得するより「憧れの対象」に言われる一言は大きい。

 雑誌の広告はキャバ嬢向けドレス、豊胸手術、プチ整形、出会い系ケータイサイト。

 一見、にこやかに「あなた達のことわかってるよ、わかって雑誌作ってるよ」と言いながら、巧妙に彼女達の手を引いて夜の世界へ誘っていく。最後の方には「シンママ」コーナーと銘打って、子連れの派手ギャルがいっぱい載っていた。

 「シンママ」とは何の略なんだろうと思ったら「シングルマザー」の愛称だった。

 愕然とするほど、ポジティブだ。
 
 早くして母親になり、男に捨てられた(もしくは見切りをつけた)女の子達が「ここに載るようなカワイイママになりたい」と思えるなら、それもいいだろう。

 しかし、その生きる術は夜の世界にしか無いのか。
 夜の世界にいるから「シンママ」になってしまったのか。

 雑誌の中には人気キャバ嬢の1日、持ち物、「もりもりヘア」と呼ばれる(爆笑してしまった)うずたかく積み上げた巻き毛アレンジ、原寸大のぶっといアイラインの入れ方。ネイリストやデコ(携帯の装飾)で食べている女の子も紹介されているが、メインは「キャバ嬢わっしょい」である。

 こういう雑誌が「キレイなドレス着て、チヤホヤされて、欲しいものが買えるステキなお仕事」と煽ってくれれば、業界は希望者が増えて喜ばしい。広告主も儲かる。雑誌はついに30万部を突破し、中学生までが楽しんで読んでいる。みんなハッピー。

 これをどう受け止めていいのか。

 1冊読んだだけでは何とも言えないのだが、編集部に良心があるのであれば「彼に断られない避妊のカワイイ頼み方」とか「20歳過ぎたら考えよう、今の仕事はいくつまで続けられる?」「50歳・現役クラブママに聞く『お店を本気で持つ方法』」「危ないホストの見分け方」(キャバ嬢はホストでストレス解消し、夜の世界でぐるぐるお金が回っているので)など、やってほしい特集がたくさんある。

※やってたらごめんなさい。

 
 問題雑誌だ!というのは簡単だが、それだけ「行き場を探している女子のハローワーク」「不可抗力でシンママやキャバ嬢になってしまった子のスポットライト」として、希望や勇気を与えている点は認めざるを得ない。

 雑誌が問題というより、このコンセプトの雑誌が売れてしまった土壌に問題がある。私たちが見て見ぬふりをしている「ドロップアウトした女の子」の痛みが、「病んだっていいじゃん」の文字に籠められている気がする。

 教育書を読むより、こういう雑誌やケータイ小説を読んでみると新たな問いが浮かんでくる。


 ただ、1つだけ言えることは「助けを借りながら頑張れ、シンママ」
 
 育児って汚いしうるさいしウザいし、おそらく人生で最初に出会った「思い通りにならないもの」だろうけど、周りの人の助けを借りながら切り抜けてほしいと願ってやまない。

 若い母親の育児に関しては「病んだっていいじゃん」ではなく「甘えたっていいじゃん」ぐらいに思っておく方が、本人も周りも楽なはず。この辺、次回「モンスターマザー」(石原結貴/光文社)を紹介しながら掘り下げてみたい。

    

  

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「勝間和代のインディペンデントな生き方」 勝間和代

勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 22)勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 22)
(2008/03/01)
勝間 和代

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 売れ売れ中の旬の人、信奉者を「カツマー」と言うそうな。とりあえず一冊と思い、「勝間和代の原点」と帯にあるので買ってみた。

 自立している女性を「インディ」、誰かに依存して生きる女性を「ウエンディ」と名づける。インディの条件は「1.年収600万以上稼げること 2.人に自慢できるパートナーがいること 3.年をとるほど、すてきになっていくこと」

 前書きを読み始めて、何がショックだったかって「この本、前に読んだことある」という事実。2006年に「ムギ」という別名で出された「インディで行こう!」じゃないか。私もその頃、女性本を書いていたので、参考資料に買ったものだった。

  
インディでいこう!インディでいこう!
(2006/01/18)
ムギ(勝間 和代)

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 前書きには、この本は当時売れなかったけどちゃんと「インディになる方法」を実践し続けたら成功したわよぉ、と書いてある。彼女の本が2006年1月発売、私の本は4月発売。私も同じように売れなかったけれど、その後の2年で開いた差(もともとスタートラインのキャリアや年収にも相当差があるが)は果てしなく大きい。

 片や、書店で著作が続々と平積み、テレビも雑誌も特集を重ねる。
 片や、あれから一冊も本を出せず、小さな頼まれ仕事を重ねている。

 何より、うっかり同じ本を買わされているマヌケっぷりに涙が出てくる。

 インディの条件を、もう一度見直してみる。
 どうも「2」に難があるのではないか(責任転嫁)。
 
 勝間和代が提唱する、いいパートナーの条件とは。
 
 「自分が年収600万円以上なのだから、当然相手も600万円以上の年収、できれば1000万円以上の男のほうがいいでしょう

 ……こんなの飼ってちゃダメですか。
 参考:ゆる夫のススメ http://yuruotto.livedoor.biz/
 

 彼女が効率化を極め、着々とステップアップしてる間に私は何をしてたんだろう。
 
 金にならない文章ばっかり垂れ流してたり、アーティストの追っかけやってたり。この非効率さが、今の結果なんだろうと自覚している。

 でも、人生は「余白」にこそ味がある。この2年、めちゃくちゃ楽しかった。そのせいで少々出世が遅れてもいいやーと、二重に本を買わされた1000円分(新書のくせに高っ!)の負け惜しみを言っておく。

 それはあくまで「遅れても」であり、設定した目標には必ず到達してやるぞという気持ちはある。今月はライターと講師の新規登録を9件こなして悪戦苦闘。なんで私はまた職務経歴書なんて書いてるのか。
 
 こうなったら「男選びは最初の一回で成功することはまずない」という勝間センセーの教えを元に、年収1000万以上の男を募集してみよう。34歳、生活力あり、胸なし、0歳児つき。ついでに注意力散漫。いかがでしょうか。


 ……なんて書いてみても、もともと仕事中毒気味だった私に、「余白」の少ないデキル男はしんど過ぎる(経験アリ)。

 そうか、私が年収1600万になれば解決するのか。
 いやいや、これ以上ヤツを甘やかしてどうする。

 ウエンディにとりつかれてるインディ候補としては、頭を抱えてしまう本だった。

 …というか、専業or兼業主夫を養う力がある方がホンマの「インディペンデントな女」じゃないんだろうか。そうそう転がってませんよ、年収1000万男。

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「ある日どこかで」 リチャード・マシスン

 
ある日どこかで (創元推理文庫)ある日どこかで (創元推理文庫)
(2002/03)
リチャード マシスン

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「ある日どこかで」は、大好きな映画。
現在も熱烈なファンを持つ、カルト・ムービーとしても知られている。

 数年前、初めて見た時には、さほど大仰な泣かせ演出でなかったせいか「可憐なラブ・ファンタジー」という印象でエンドロールを迎えた。しかし、レンタルビデオを返却のために巻き戻し、冒頭の10分だけなんとなく見なおした時。大号泣してしまった

 老女が若き脚本家に近づく。
 その眼差しにこめられた、万感の想い。

 時計を渡し、絞りだした一言。

 「Come back to me.」
(私のもとへ帰ってきて)

 75年前、幸せの絶頂で消えた恋人のことを、ただただ想って暮らしてきたエリーズの悲しみ、諦め、再会の動揺、そして祈り。その夜は、布団に入ってからも「コイン一枚」のうっかりミスで現代に帰っちまった主人公に腹が立って腹が立って、映画の登場人物に怒ってもどうしようもないのに、「リチャードのバカ」と恨みごとを繰り返して泣いていた。今ここで、エリーズの気持ちを想っても泣ける。リチャードのバカ。

 先日、ふと見たくなって検索したら限定版でDVDが発売され、そしてすでに廃盤になってることに気づいた。私のバカバカ。ずっと欲しかったのに!

ある日どこかで  (ユニバーサル・セレクション2008年第3弾) 【初回生産限定】ある日どこかで (ユニバーサル・セレクション2008年第3弾) 【初回生産限定】
(2008/03/13)
クリストファー・リーブ.ジェーン・シーモア.クリストファー・ブラマー.ビル・アーウィン

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 代わりに、訳書を買って追体験することにした。
 昨日の出張に持参。

 帰りの電車が事故に遭遇、混んだ車内で2時間以上立ちっぱなし。仕事終わりで疲れていたが、読み始めたらすっかりこの時空を超えたラブストーリーに没入してしまい、今自分がどこにいるのか、電車は止まっているのか進んでいるのかもわからなくなってしまった。

 だって、リチャードがバカなんだもの!

 映画と設定が違うのは、リチャードの余命が数ヶ月だということ。鍵になる作曲家がラフマニノフではなくマーラーだということ、そして舞台の年代とホテル。それ以外は、大きく変わらない。

 ふらっと泊まった古いホテルにあった、写真。

 往年の名女優、エリーズ・マッケナにひとめ惚れしたリチャードは、夢中になって彼女にまつわる文献を探す。資料を読むほどに沸きあがる妄想。ある年、このホテルでエリーズに何か起こった、それは僕に会ったからではないか。当時の宿泊客名簿を掘り出し、そこに自分の署名を見つけるシーンは映画より緊張感がある。

 「泣いてしまった。こんなふうに泣いたのは、十二歳の時以来だ。悲しみの涙じゃない、嬉しくて泣いたんだ

 予感が現実だと確信するリチャード。当時の服装で身を固めて自己暗示をかける妄想パワーで、ほんまに過去に行ってしまう。私も相当の夢想家だが、読んでて怖くなる偏執っぷり。加えて、実際にエリーズに会ってからはおバカに拍車がかかってしまう。もう読んでて恥ずかしいくらいメロメロ

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 なんと美しい顔。彼女が真顔になれば、ぼくは涙ぐまずにいられなかった。微笑みをうかべると顔から光輝が放射され、ぼくの心臓は止まりそうになった。

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 リチャード、また泣いてるよー

 そしてラストももれなく「リチャードのバカバカ」とコイン1枚のミスを責める結果になるのだが、兄が後書きを書くという設定が一歩退かせるのでさすがに電車内で号泣はしなかった。

 それより、作者のこってりした愛情表現に参ってしまう。
 結ばれた夜のエリーズの手紙。

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 愛しています。わたしのリチャード。幸福なあまりに屋外で踊りまわったあげく、野次馬を集め、警官に見つかり逮捕され、もっとも不名誉な身分におちいりかねないくらいに、あなたのことが好きです。太鼓を叩き、角笛を吹き、『愛してる、愛してる、愛してる!』とだけを書いたポスターを世界じゅうの壁に貼ってまわりたいくらいに。

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 エリーズもおバカさんだよー


 ラリパっパな恋愛感情を久々に擬似体験、初夜に3回もしてる君たち大丈夫か…じゃない、我に帰ると周りは疲れたサラリーマンやOLでいっぱいの車内。こんなの読んでる自分に赤面してしまった。

 
 電車降りたら、猛烈に映画が観たくなった。

 浜辺に立つジェーン・シーモア、彼女に見とれるクリストファー・リーブ。
 圧倒的な美男美女の立ち姿。

 もう中古ビデオでもいいから、手にいれて観よう。



 《余談》

 私もリチャードと同じく、すでに表舞台から去った人に執心し、古い雑誌やネット上の情報を漁っていた時期がある。リチャードがエリーズの伝記を手にとって「そんなにあわてて飛ばし読みしちゃだめだ!これが最後の資料なんだぞ!」と自分を抑える場面、よくわかる。

もう、過去の人だから。
全ての資料を読んでしまったら、終わってしまう
そんな惜しい気持ちでいっぱいだった。

 時間を超え、エリーズの舞台を生で観てまたもメロメロなリチャード。
 
 「なんて、可愛い歌声なのだろう。ああ惚れぼれする歌声だ。エリーズの登場を期待して、身体がふるえた。登場した!踊ってる!ああ、なんて美しいのだろう、じつに優美な姿だ……」
 
※翻訳文が恥ずかしいのか、原文が恥ずかしいのか。


 私は幸いにも、時間を超えなくてもその人に会えた。
 彼のステージを初めて観た日のことを思い出す。

 読んでた通りだ、いやそれ以上の声だ、あんな表情するんだ。
 「夢の人」が目の前で歌っていた
 資料の中の20代は40代後半になっていたが、違和感はなかった。

 ステージから客席をかき分けて帰っていくその人と、相手は絶対に覚えていないだろうけれど、目が合った。その一瞬を鮮明に覚えている。目の色、髪の跳ね具合、紅潮した額の色、にじんだ汗。彼の姿かたちをひたすら追いかけていた時間がねじれ、ふっと意識が遠のいた。

 意識を引き戻したのは、自分の左肩に触れた、その人の左肩
 0.数秒のできごと。
  
  わー生きてたんだ。
  わーほんとにいたんだ。
  わーほんものだよ。

 それから何度か観る機会があって忘れていた瞬間を、この本を読んでいて久々に思い出した。あの「やっとたどり着いた」という感覚。

 …ナニ書き散らしてるんだ。
 私もリチャード並におバカさんだ。

  

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「『食い逃げされてもバイトは雇うな』なんて大間違い」 山田真哉

「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い   禁じられた数字〈下〉 (光文社新書)「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字〈下〉 (光文社新書)
(2008/02/15)
山田 真哉

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 上巻で「売る努力」に感心したが、下巻のタイトルには「さすが」とニヤついてしまった。「それでもバイトは雇った方がいいに決まってんじゃん」というネット上での批判を、著者はどんな思いで眺めていたんだろう。策士だなぁ。

 今回も「1時間で読める本」を目指して作られており、小説パートは少々居心地が悪かったがわかりやすく、明快だった。


 結論が自分が大事にしている考え方と一緒で、それを会計人から聞けたことが個人的には嬉しかった。

  「会計・非会計の話に限らず、ビジネスにおいても、生活においても、大事なのは複数の視点を常に持つことです」

 その主張を、上巻のタイトル「食い逃げされてもバイトは雇うな」を、下巻のタイトルで全否定するという凝った手法でアピールする。こんな荒業、本が売れる保証がなければ怖くてできない。

 上巻で「決めつけ過ぎちゃうの」と不満を抱いた人が、書店に並んだ下巻のタイトルに「やられた」と思い、最後まで読んで「悔しいけど、確かに複眼視点って大事やな」とストンと納得する。

 上下巻合わせ技で、名授業を受けたような気分がする。

 
 誰でも思いつく、予想できたというのは簡単だが、今まで誰も「実践」しなかったことを出版業界を舞台にやってのけたことが凄い。

 彼が下巻執筆中、私も光文社新書の企画を通そうと編集部にちょこちょこ行っていた。編集者たちは「ものすごく粘るんですよ」と山田さんのことを困ったように、でもワクワクが隠せないように話していた。「わかりやすくする」ことに、ありったけの情熱が注がれた一冊。

 物書きとしてというより、今回も「教師」として敬意を払う。
 
 
 
 《余談》

 ちなみに、私の本は1年書いてボツでした。 
 ※間に出産なんかしてたので「粘り」が足りなかった。

 次行こう、次〜。



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